成田出発が午後2時でソウル経由ニューヨーク着午後8時半。だが実際はこの約倍の 13時間を飛行機内で過ごしたこととなる。太陽の昇る方向へと時の 流れを逆流した。光が風としたらかなり風あたりの強い中を飛んだこととなる。成田、そ してトランジットしただけのソウルでは、念入りに手荷物と身体をチェックされたが、ニューヨーク JFK空港では、「貴方アメリカ初めてですね。ウェルカム」と入管の係官に歓迎さ れた。指紋と顔写真は撮られたけれど、その東洋系が少し混じっている若い係官のお陰で、(やはり現地に来 なければ、土地人のことは判らない)と、これまでアメリカ人に持っていた自己顕示欲やらの印象を改めること から入国したのだった。
JFK国際空港のスタッフは黒人が圧倒的に多かった。入国審査に並ぶ客 を支持して窓口に仕分けるのは全員がエネルギッシュな黒人。大柄な肉体と早い英語。見 事に人群をズラッと並んだ窓口に振り分ける。だから渋滞せずに人は次々と国境のゲートを通り抜けていく。通 関も黒人ばかりだ。あっけなく外に出てから、 600人以上を収容 できるというユースホステルに電話した。図書館で読んだガイドブック「ロンリープラネット」にあったのを 書き留めておいたのだ。ひとつ目の公衆電話は機能しておらず、コインも戻らなかった。
同行の Mが「お布施したんでしょう」とのコメント。隣の電話はクールな受 付の女性が出て、「リザベーションすることなしにただここに来なさい」との簡単なるア ンサー。そこで、空港から市内のコロンビア・サークルまでの空港特急に乗ることとした。
午後 9時半頃なのにプラットホームに乗客は少ない。切符の買い方が判ら なかったが、そこに立っていた黒人の係員が紙幣を受け取るとコインに転換、そして切 符を買うボタンを押してくれ、ついでに無料にニューヨーク列車マップもくれた。
「 Have a good trip!」との明るい彼の声に送られて乗車。 列車はまず7.8個のターミナルを順ぐりに廻る。空港も大きい、列車も大きい。空 港を抜けると、疲れ果てたストリート・ピープル国の黒人が数人乗り込み、すぐ眠り込ん だ。ブルックリンには貧民層が多いという現実、犯罪も多発するというガイドブックの記事を思い出したが、皆 が互いに知らん顔をしており、パソコンを使う者からイアホンで音楽を聴いて身体を動かす者など、勝手にやって いる。メキシコ系も多い。スペイン語が飛び交っている。マンハッタン島に近づくと、ドッとコロンビア・ サークルにて乗り換えた Metro 内には若い女性群がケラケラ笑いながら大声スペイン語でおしゃべ り中。切れの良い発音だ。「 love Ner York」の赤いロゴとハートマーク のTシャツ姿。スペインから来たという。ヨーロッパ人はアメリカに来ると陽気にな るのだろうか。 103 rd Streetで下車。狭い出口、狭い回転ド アー。その先にエスカレーターもない。今回は国連の核不拡散条約 NPTの改定に向けたウォーク参加とその後に南部西部のキャンピングを旅するつも りだから、荷が多い。それを老人用手押し車で運んでいる。ようやく階段を上った地表には、クラシックな煉 瓦壁のビルが並んでた。 1ブロック先の角に溜まる黒人にユースホステルの場所を聞くと、 「向こうの側の巨大なクラシック・ビルがそれ」と指した。誰もが行く先を瞬間にして示す 都市だ。ホステルの受付も見事に効率的にさばく。 2階(日本式には 3階)の10ベッド2段ベッドの下段。ひ とりだけ年配のアメリカ人が熟睡中。それから角のスーパーでライ麦パン、バナナ、ヨーグルトを買い、ロッカー用のシ リンダー型のカギも受付で買う。このカギ、右へ 3回左へ2回そして右へ1回ナンバーを廻して合わす金庫式。 5ドル。有り難いことに、ホステル前の庭にはスタンド型の大きな灰皿を置いてある。 Mがビールを買って無事の入国を乾杯。ささやかな夕食。ニューヨークは札幌と同じ北にあ る。肌寒い。シャワーの湯が出なかったが思い切って浴びる。飛行機の 13時間がぶっ飛んで、ただ眠った。
同行の
午後
「
(澤村)
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