Wednesday, April 14, 2010

マンハッタンを離れる・Graftonへ

 昨夜は斜め上のベッドのアメリカ人の若者がケイタ イの音高く鳴らし、一寸注意したがお構いなしで、早朝にもまたけたたましいのに起こされ、寝起き が悪い。そこで散歩に出た。裏の低所得者用団地の広い中庭に大きな鉄のンチがあった。そこで朝陽を浴び る。緑が息づいている。

 団地の出口から出勤する若い黒人の男女が急ぎ足で出ては去る。杖をついた黒人の老人が向こうのベンチに座りゆっく りと、紙コップのコーヒーを飲み始めた。そこで僕もやはり紙コップを手にした通行人にコーヒー店を聞く「裏 の大通り」と男が指さす。もう一人が「角の向こう側」と付け加える。

 昨日と同じに、行き先はあっという間に判る。

 アラブ系らしい雑貨屋でコーヒーの大を買い、ベンチに戻りゆっくりと飲み干したら、出発時間の午前
9時に近くなった。ニューヨークでは何事もスムースに進行するためか、時間のたつのがす ごく早い。

 ホステルをチェックアウトするのに時間がかかった。
650名収容できる規模だから、ラッシュアワーには列に並 ばなければならない。

 ニューヨーク州の州都オルバニーに行くバスは、マンハッタン島の市街地ペンシルヴァニア駅前から出る。黒 めがねの黒人女性の運転するバスも混んでいた。そして老人と身障者、特に車椅子の黒人などの乗り降りに時間がかかっ た。

 客どうしの口げんかも起こった。そのひとつひとつをこの黒人女性運転手はテキパキとさばき、命令する。 「私はここで皆にサービスするためにいる」。ケンカのトラブルが発生した時に彼女の言った言葉が印象に残った

 ダウンタウン中心街で下車。活気ある人の流れの中で声を張り上げていたキリスト教の宣教師らしい
30がらみの男に、メガバスのありかを聞く。また時が素早く経って、もう集合時 間の11時に近い。宣教師に渡されたキリスト教のビラを片手に彼の指さし た方向へくと、角から摩天楼エンパイアーステートビルが見えた。あたりのビルもそ そり立っているから、僕が少年時代に見たように抜きん出た存在ではない。

 
2階建てのメガバスはほとんどの長距離列車の発車するペンシルヴァニア駅の脇 に停車中だった。列となった客はまもなく乗車した。そしてあっという間に発車してあっという間に緑広がる郊外に出た。 ニューヨークの空気が良いのは、片側は海、片側は広大な林があるからだと納得できた。3車線道路脇にはレストラン風の家が主だ。そのいずれもが星条旗をひるがえしている。

 道はハドソン渓谷に沿って北上。なだらかな丘が続く。樹には花がチラホラする。車の流れは絶え間なく、昨 日の日記を書いていたら、バスは停まり、あっけなく終点の
Albany到着。待っていたシャイアン族のLのニッサン乗用車に移る。彼は幼い頃母と共にサンフランシスコ に移住。母はインディアンであることを隠し通していたが、一昨年のグレーテスト・ウォーク に参加してから今回のウォークの中心、日本山妙法寺の尼さん、純さんと知り合い、全米数カ所の寺を行き来、最 近純さんの寺のあるGraftonに近いAlbanyに移住 したとのこと。

 その寺は林に囲まれた丘にあった。
10数年かけてボランティアが建てた家が2軒。そして白い仏舎利塔。留守番の日本人青年は、アメリカと日本でスライドショーを開いていると いうHさん。アーティストらしいデリケートで温かいもてなしをしてくれ た。2時間経つと純さんが来た。彼女の話によると、この土地 はモヒカン族のもので、彼らは離れた居留地に移住させられたが、祖先の骨がAlbanyの博物館にあったのを戻すよう交渉した。その願いが受け入れられ、伝統に沿っ た埋葬をこの寺の土地にするため、純さんに尋ねたところ「勿論ここは貴方がたの土地ですから」と、快く応 じ、そのセレモニーをした。丁度その時、アメリカ先住民のリーダーも訪れ、またセレモニーの最中偶然カト リックの尼さんも来て、インターフェースのセレモニーになったという。そのようにこの土地 では、不思議な出逢いが次々と起こっているという。

 その日も、近所の人が料理したパスタを届けてくれ、ニューヨーク在住の日本人カメラマンの料理したチキンカレーで 豊かな食事。ニューヨークでは自分で作ったサンドイッチとファーストフードだけだったからとても有難かっ た。そしてここの名物。鉄分を含んだ井戸水の五右衛門風呂!夜の星は真っ暗な森の上に輝いていた。北斗七 星がここでは真上にある。

(澤村)

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