Saturday, April 17, 2010

行進団の人々

 教会の外に出た。肌寒い。ここは札幌より少し北に ある。あたりのアスファルトはまだずぶ濡れだった。夜、かなり降っている音がしていたのを思い出 した。例のごとく6時に祈りの集会。そして、JFK空港がアイスランド沖の火山噴火により閉鎖のニュース。新人が自己紹介する。中 にはフロリダから来た親子がいる。息子の一人がかつて参加していて、影響されたのだそうだ。まったく ウォークに参加している人は各々色々な関わりでやって来ている。5人ほどの先住民は、一昨年の先住民権利ウォークに参加して目覚め、今回の核をテーマとし たウォークにも参加した。シックス・ネーションの西端セネ族の土地、バッファローの南48キロに核廃棄物処理場があり、地域の住民やそこで働く労働者に深刻な被害をもたらしている、と いう事実をアピールするためだ。
 多数派は白人。コーディネイターの
Jさんは73才。い つもケイタイで問い合わせを受け付け、また、ウォークのための宿舎、サポート・カーの手配等を純さんに協 力してやっている。勿論、毎日歩き通してもいる。元軍人、元警察官、ニューヨーク州の人。その日、通りか かった街の人が、一日だけ参加する例もある。フランス人3名は若 く、ヨーロッパ、南アフリカ、オーストラリアのウォークにも参加している。日本の若い女性2が、こまめに料理をやり続けている。とても健康的な米、玄米に菜食が主だが、そ の街のボランティアが持ち込むパンやパスタやバター、チーズ等を組み合わせた豪勢な食事が毎回出てくる。昼 食はサンドイッチを屋外で。朝夕はバイキング・スタイル。勿論マイカップ・マイディッシュ・マイスプーン& フォーク。
 
Amsterdamの街を出るまで宿泊した教会の牧師が交通整理をしながら先導し た。道脇の住民が数人、これは何のウォークですか?と尋ねた。車道を歩いていてもクラクショ ンを鳴らしたり、手を振ったりして励ます運転手がいる。純さんによると、30年前は「ブラブラせずに仕事をしろ!」と、怒鳴られることも多かったという。道に身をさらすこと で、時代の変化を感じとれるのだろう。毎年ウォークを続けている70才代前半の年配者たちには、ゆるぎない存在がある。顔の厚い皮、地に降ろした身体。常 に落ち着いている。7~8キロメートル歩くと、小雨が降り始めた。風も強くなり、急激に冷え込んだ。この ウォークを37日にバッファロー で始めた頃には、雪も降ったという。

 今日僕は、
52日に民間団体が ニューヨークで開催するワークショップの申し込みを、苦手なコンピューターを通してやらなければならな い。現地のサポーターの車で、彼の自宅にて、彼に手伝って貰い申し込みをした。それから、土曜でも開い ているモールの郵便局で、原稿をいつもタイプ打ちして、ウェブに載せてくれる友人に送る。それがぶ厚かっ たので小包扱いとなり、用紙に内容等を書き込むこととなった。9.11以来、あらゆる面で規制が厳しくなったということだ。郵便局にパスポート取 得できる、とある。それは以前カナダに免許証だけで行けたのが、9.11以来不可能と なったからだ。モールを出た所で、ふと同行の彼がつぶやいた「昨日ここで少女が空気銃で撃たれて、首に ケガしたということだ。犯人はまだ捕まっていない」。見れば、SECURITYと書かれた車が止まっている。
 ウォーク一行は既に23キロメートル歩いてSchenectadyの街の教会に到着していた。この教会も広くまた中で迷った。夕 食前に街の平和運動家が10人余集まり、共に祈りを捧げた。アフリカのザンビアで唯一布教 をしている75才の森下上人が、平安時代には仏教が盛んで、刑務所に蜘蛛の巣が 張るほど犯罪が起こらず、死刑になった者は一人も居なかったとの話をした。ここの平 和運動家は、郊外にある原子力研究所に反対しているグループだという。皆知的なのは、州都Albanyに近いからか。今日の出発点のAmsterdamのさびれ様とは違って、家も新しく立派なのが多い。

 夕食は彼らも持ち込んだ食料も加わり、何を選んだら良いのか迷うほどだった。手作りのケーキまで!談笑 していると、ベトナム戦従軍した年配者がいた。当時は徴兵制でアメリカ人は自国を守るために戦うことが誇りとなて いるから、ほぼ皆が喜んで従軍したが、現場では酒を飲んだりする生活が続いたという。後になって、ベトナ ム戦の拡大したきっかけとなったトンキン湾事件(ベトナムの魚雷艇がアメリカ軍艦を攻撃した)は、作られた情報あ るのが判ったのだ。そして、退役してもその後の保障は余りにも少ないとのことだ。それに反して警察への保 障は充実しているという。

 今日はウォーク参加以来、初めてのシャワーをとった。近くの
YMCAまで車に乗せて貰うと、そこも迷う位大きなビルで、シャワーは20人ほどが一度に浴びれるように、一本の柱に4個ずつ 水口のついているタイプだった。教会の一部屋の床に泊まる。寝る前に数人がお灸をすえて、身体を整えた。今回の ウォークは計1.120キロメートル。既に半分以上を歩いた人たちの中には、足を引き ずっている人も何人かいる。

(澤村)

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